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老舗バッグブランドから生まれた新ブランド『Her Schedule』
明治から脈々と息づくバッグ作りの歴史 『傳濱野はんどばっぐ』
代官山ショップに女優やモデルが密かに通う『FRUTTI DI BOSCO』
ヴェネツィアで誕生ブランドのWEB限定『ジャーダ ロベルタディカメリーノ』
軽量バッグが特徴の Made in Japan ブラ ンド『cooga』
日本最大のクロコダイル専門店 『池田工芸』
ヒーローやヒロイン達から次々と指名を 受け続けるブランド『PROTEX』
シームレスなデザインを目指して生まれたステッチ0の仕立て『SLUR』
創業140年銀座の老舗、洋装の源流『ギンザのサヱグサ』
MCF称号&ミシュラン掲載のフレンチ『レストラン パッション』
宮内庁御用達×アーティストの限定アイテム『漆器 山田平安堂』
ラボグロウンピンクダイヤモンド専門ジュエラー『ALAYA』
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■きっかけは自分のためにデザインした一つのバッグ ジュリアーナがデザインに目覚めたきっかけは、自分のために作った一つのバッグでした。戦時中の物が乏しく欲しい物が手に入らなかった時代、もともと手先が器用だった彼女は自分で持ちたいバッグを自らデザインし、自分で縫って作りあげたのです。出来上がったバッグをさっそく持ち歩いていると、見ず知らずの婦人に是非売って欲しいと声を掛けられました。この時ジュリアーナは自分のファッションへの才能に予感めいたものを感じたといいます。その後も精力的にバッグのデザインを続け戦争が終わり生まれ育ったヴェニスに戻ったジュリアーナは、1945年ロベルタ社を設立し本格的に仕事を開始します。 当時、ファッションは保守的でバッグは靴と揃っていることが常識的だというセオリーがあったといいます。しかしジュリアーナが生み出したのは、ビビッドな色彩の自由なバッグ。窮屈なルールは意識せず、口金を使った個性的なスタイルなど自分らしい自由なデザインを発表していきました。地味な色が主流だった中で彼女が生み出す色彩豊かなバッグは、バッグ単体でジュエリーのような輝きを放つ存在でした。ファッション誌『BELEZZA』にも取り上げられると、またたく間に女性たちの共感を呼び、当時ヴェネツィアで一番の高級バッグショップ「ボジーニ」でもロベルタのバッグは飛ぶように売れていったといいます。 ハンドバッグに“ファッション”という命を吹き込んだこと、それがジュリアーナの大きな功績だったのかもしれません。バッグが実用的な袋としてしか見られていなかった頃、ジュリアーナが直感で生み出すデザインは当然のようにそこに豊かなファッション性がありました。ロベルタのバッグは時代に憧れと活気をもたらしたのです。 グレース・ケリーも愛した「バゴンギ」の大ヒットで世界的なファンを獲得すると、バッグだけでなく服や傘などの雑貨へと広がりを見せ、ついにジュリアーナはニーマンマーカス賞というファッション界のオスカーとも言われる大きな賞を受賞します。 次のページへ>>